満月



 薄いドアの鍵穴に鍵を指す。

 ガタガタの取っ手が震える。

 うまく抜けない鍵に苛立ちを覚えながら、ドアを開けた。

 カバンを置き、制服を脱ぐ。

 二ヶ月の間に健史の生活は一変した。

 転校はしなくてもすんだが、家はすぐに出ることになった。

 古びたアパート。

 前の家とは比べるのも馬鹿らしい。

 六畳間が二つに、小さな台所があるだけだった。

 家具は全て処分した。

 ここには生活に必要なものが最小限あるだけだった。

 母はパートで働いている。

 父は・・・何をしているかわからない。

 毎日早くに家を出て、深夜まで帰っては来ない。

 だが、健史にとって何よりも大きな変化は塾をやめていたことだった。

 あの日以来、塾には行っていない。

 父も母も何も言わなかった。

 退塾の届けは母が出したようだ。

 もうどうでもよかった。

 本棚には田久保先生の本が並んでいる。

 毎日開かれていた本は、読まれることもなく埃をかぶっている。

 健史は何もしたくなかった。

 どんなことをしても面白くない。

 家にいると息が詰まる。

 母が帰ってくる夜になると出かけるようにしていた。

 一分、一秒でも顔を合わせる時間を減らしたい。

 親は何も言わない。

 家族に会話はなくなっていた。

 時計を見ると八時を少し回っている。

 もうすぐ母が家に戻る。

 健史はサンダルを引っ掛けて家から出た。

 外にいても何をするわけではない。

 ただ、ぼんやりと散歩をする。

 何を探すわけでも、誰かに会うわけでもない。

 親と一緒にいなければいい。

 彼らといると思い出す。

 空っぽの方が楽だった。

 何もない平穏な日々があればいい。

 なんとか食べ物には困らない生活はできている。

 親の辛気臭い顔さえなければ、静かに時は流れていた。

 何かの音が耳に入る。

 耳をすますと小さなビルの間からだった。

 のぞくと暗闇に光る二つの目。

 近づくなと必死に訴える目。

 光は強く輝いていた。

 猫だった。

 まだ幼さの残る顔。

 生まれて半年ぐらいだろうか。

 艶を失った毛。

 肉の落ちた細い体。

 声を出すこともままならないくらい衰弱していた。

 それでも目だけは爛々と光っている。

 ポケットを探る。

 百円玉が二つ入っていた。

 急いでミルクを買いに走った。




 
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