人形


ボクが初めて君のところに来た時、君はまだ幼稚園だった。

「このブタさんのぬいぐるみがいい」

 オモチャ売り場に並んでいたボクを手に取って抱きしめてくれた。

 それからボクはいつも君と一緒だった。

 旅行にも連れて行ってもらう。

 いくつになっても君はボクを抱いて寝た。

 

「ピギーちゃんがいない」

 飛行機が出る時間はせまっている。

 あと十分でチェックインしなければならない。

 彼女の顔が歪む。

「預けてないよね」

「俺は預かってないなあ、トランクの中じゃないの」

 旦那さんになったばかりの男が心配そうに答えた。

「絶対さっきまで持ってた」

 顔からはみるみる血の気がなくなっていく。

「とにかく落ち着いて考えよう」

「ご飯を食べたところでは手にあった。その後雑誌買って、ジュース買って・・・あっ、電話だ」

 彼女の大きな声。

 携帯電話がつながらず、久しぶりに公衆電話を使った。

 その時、横に置いたかもしれない。

 チェックインまで、八分。

 男が走り出す。

「すみません、すみません」

 人にぶつかり、謝りながら走る男。

 彼女はうつむいて待っている。

 戻って来た男はクシャクシャだった。

 おろし立てのシャツは汗でクシャクシャ。

 髪はクシャクシャ。

 運動不足で呼吸もクシャクシャ。

 見事なクシャクシャっぷりに彼女は思わず笑みがこぼれる。

「・・・ごめん・・・ない」

 チェックインまで、三分。

「もう、飛行機出ちゃうよ。入ろう」

「・・・でも」

 男が悲しい顔をする。

 彼女の方が落ち着いている。

「紛失届けは後でも出せるよ」

 見つからないことはわかっていた。

 もう、ボロボロのぬいぐるみだ。

 落し物だとは思われないだろう。

 二人はチェックインした。

「ありがとう、ピギーちゃん。バイバイ」

 

 ボクにはちゃんと聞こえた。

 いつも一緒だった君の声。

 ちゃんと見てた。

 君のために一生懸命走った彼の姿。

 もう、大丈夫。

 ちゃんと眠れる。

 ボクもそろそろ、おじいちゃんだから彼と交代だ。

「バイバイ」

 床に座っていたぬいぐるみが、すうっと消えた。