タバコの煙

  

 

 もう、いいかい。

 まぁだだよ。


 ぼくはのんびりと歩き出す。

 隠れる場所はもう決めてあった。

 裏庭にある物置の横。

 裏庭と言ってもほんのわずかしかない。

 物置を置いたらほとんどいっぱいだ。
 
 やっと子どもが隠れられる隙間が残るだけだった。

 あそこなら見つからないだろう。

 家からは大人たちの笑い声が聞こえる。

 毎年恒例となっている親戚たちの新年会だ。

 お酒の飲めないぼくたちはすぐに飽きてしまった。

 そこで始まったかくれんぼだった。

 六年生にもなってかくれんぼか、とも思ったがお酒とタバコの煙よりはましだと思った。
 

 もう、いいかい。
 

 鬼になったイトコの声が小さくなるくらい離れたところで大きな声で返事をする。


 もういいよ。


 近所に住んでいるぼくはおじいちゃんの家にしょっちゅう遊びに来ている。

 年に何回かしか遊びに来ないイトコには絶対に見つからないだろう。

 適当なところで見つかりそうな所に移るつもりだ。

 でも、とりあえずはかくれんぼ無敵の場所に隠れてみた。

 しばらくはここで一休みしてぼんやり空でも眺めよう。

 そう思って顔をあげた。

 すると、トイレの窓からふうわりとのぼる煙。

 鼓動が速くなった。

 大変、火事だ。

 しかし、鼻の奥をツンと刺す香りで火事ではないことはすぐにわかった。

 誰かがトイレでタバコを吸っている。

 家の中には大人たちしかいない。

 隠れてタバコを吸う必要はないはずだった。

 だれなのだろうか。

 ぼくは玄関に向かって走った。

「幹夫にいちゃんみっけ」
 
 イトコの声を背に玄関を開ける。

 トイレからはいつも優しいおばあちゃんが出てきた。



 ぼくの口からのぼる煙を祖母が楽しそうに見ている。

 今日は大学の講義が休講になったので久しぶりに祖母の家に遊びに来ていた。

 祖父が死んでから、この家にはめっきり人が集まらなくなった。

 ここ数年は新年会も行われていない。

 たまに近所に住むぼくの母親が来るくらいだ。

 ぼくも毎日の忙しさを理由に何ヶ月も顔を出してはいなかった。

 今日もほんの気まぐれだった。

 そんなぼくを祖母は嬉しそうに迎えてくれた。

「幹夫くんがタバコを吸うようになったんだから、おばあちゃんも年取ったねぇ」

 あのかくれんぼを思い出す。

 トイレに隠れてタバコを吸っていた祖母。

「おばあちゃんも吸えば」

 セブンスターを一本取り出し、祖母に渡した。

 祖母は懐かしそうにタバコをいじっている。

 火はつけずに指ではさんで吸う真似をした。

「おばあちゃんも昔は吸ってたんだよ」

 祖母がいたずら小僧みたいな顔をした。

「トイレで隠れてでしょ」

 祖母はぼくの言葉にびっくりしている。

 しばらくすると急に笑いだした。

「あら、あんた知ってたの」

「小学生トイレ窓からのぼる煙目撃。火事と間違える」

 大笑いは続いている。

「おじいちゃんに怒られるからだったんでしょ。もう堂々と吸えばいいんじゃない」

 笑ったままで、それでも火をつけようとはしない。

「でもタバコくらい吸ってもいいと思うけど。ずっとおじいちゃんだって吸ってたんだし」

 ぼくの記憶にある祖父はいつもタバコをくわえていた。

「おじいちゃん、ほんとにずっと吸ってたかしら」

 祖母に聞かれてもう一度記憶をたどる。

 ぼくが小学生の時は吸っていた。

 中学生になってからも祖父のまわりはタバコの香りがした。

 高校になってからは・・・確かに吸ってはいなかった。

「たしか健康に気を使ってやめたんだよね」

 黙って祖母が横に首を振った。

「ばれちゃったのよ」

「えっ、そうなの」

 昔気質の祖父だったので、祖母は相当怒られたことだろう。

「すごい怒られたでしょ」

「そうよ。とんでもなく怒られてね。その日から死んじゃうまで、おじいちゃんタバコ吸わなかったの」

 相変わらずタバコをいじりながら祖母は笑っていた。

「だからね。はい、ありがとう。あんた、吸いなさい」

 ぼくにタバコをくわえさせると、慣れた手つきで火をつけてくれた。

「おじいちゃんの所に行ったら、今度はいっぱい吸ってやるんだから」

 お茶目な顔をして笑う祖母を見ながら、ぼくはゆっくりと煙をはいた。

 おじいちゃん。もう少し可愛いおばあちゃんと遊ばせて下さい。
 

 もういいかい。

 まぁだだよ。