祖父の手帳



 ここに黒い手帳がある。
 
 生前祖父が使っていたものだ。

 ざっと見ただけでも、五、六十冊はあるだろう。

 めっきりと体力が衰え、ほとんど寝たきりになってからも、

 彼は手帳だけは手放さなかった。

 枕元にはつねに、黒い手帳が置かれていた。

 まるで祖父の存在を証明するかのようだった。

 私は手帳の山をじっと見ていた。

 何も特別な感情は湧いてはこない。

 確かに祖父が亡くなったことに悲しみはある。

 しかし、それは友人の親が死んでしまうことに似ていた。

 自分自身ではなく、周りの人間の悲しみが私を悲しくさせた。

 この手帳を見つけたのも偶然だった。

 酒の席が苦手な私はそこから抜け出すために、この三畳間に来ていた。

 そして、部屋のすみで丁寧に風呂敷で包まれた、これを見つけた。

 祖父のものであることは、すぐにわかった。

 しかし、それをてに取るつもりはなく、今もその感情に変わりはない。

 私が黒い手帳を見て感じたこと、思ったこと、

 それは祖母の長い苦痛の時間だった。

 黒い手帳の山は、虐げられた彼女の年月を物語っている。

 私の心に安堵と、そして怒りに近い感情が湧きあがる。

 何十年もの間、祖母は我慢を続け祖父に仕えてきた。

 彼女はそれで幸福だったのだろうか。

 そんなはずはない。

 祖母の中にあった夢は、祖父によって摘み取られてきた。

 そんな祖母にやっと、自由な時間が巡ってきたのだ。

 彼女にこれからの人生を楽しんでもらいたいと思う。

 祖母の口癖を聞くことはもうないだろう。

 「あの人がいるから、私は何もできないわ」

 これを聞くたびに私は悲しい気持になった。

 祖母には祖父への愛情があったのか。

 いや、それよりも祖父にそれがあったのだろうか。

 少なくとも私の目には、祖父にとっての彼女は召し使いにしか見えなかった。



 
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